Capoeiraとは
Capoeiraの起源は今日でも明らかにされておらず研究者達の間で研究、議論がされています。capoeiraの歴史としてはブラジルがポルトガルの植民地だった16世紀にさかのぼります。16世紀、ポルトガルは未開の地だったブラジルの植民地化の労働力としてアフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせていました。その労働環境は、非常に過酷で支配者から強烈な迫害を受け過労、病気そして時には死刑により命を落とす者がたくさんいました。そこで、アフリカの様々な土地(アンゴラ、コンゴ、モザンビーク、西アフリカ)から連れてこられた奴隷達は、それぞれの故郷の土着の格闘技を元に身を守るための「術」を発展さていきました。しかし、その「術」は支配者にとって大きな脅威となるため奴隷たちはそれに、音楽の演奏と歌を織り交ぜカモフラージュをしながら支配者からの目を逃れ、あくまでも「踊り」「遊び」という名目で行っていました。未だにcapoeiraが、具体的にいつ誕生したかについては解明されていませんが、こうした奴隷たちの支配者達に対する抵抗の歴史の中で今日のcapoeiraの原形となるものが生まれていったと言われています。
ABADÁ-CAPOEIRA とは?
アバダ・カポエイラ ABADÁ-CAPOEIRA という団体名はAssociação Brasileira de Apoio e Desenvolvimento da Arte-Capoeiraの頭文字をとったもので「カポエイラ武芸の発展と支持のためのブラジル協会」という意味です。
当団体は、ブラジル・リオデジャネイロに本部をおく世界で最も大きなブラジル文化普及団体の1つであり、ブラジル全州に支部を持ち、世界45カ国、合計で約4万人の団体加盟者がいます。あらゆる人種、年齢、階級の人々が属し、共にカポエィラを学ぶことで、社会融合の強い手段として役立っています。また、平和や環境保護に関する活動にも積極的に取り組み、キャンペーンに参加するなど様々な角度からカポエィラの普及活動に努めています。さらに、2年に一度開催される世界大会を始めとして、ヨーロッパ大会や各国での大会、そして日本大会も開催されています。このように、世界中で精力的に活動しております。
Mestre Camisaについて
MESTRE CAMISA(メストレ・カミーザ) / José Tadeu Carneiro Cardoso
5人兄弟の4人目としてバイーア州内部ジャコビーナの農場で生まれた彼は、生まれ育った農場でカポエィラを始めました。兄であるカミーザ ホーシャがメストレ ビンバの道場で習ったことを彼に教えていました。60年代にサルバドールに越し、メストレ ビンバの道場に入り修行を積むと同時に、メストレ ヴァルデマールやトライラの路上ホーダにも通っていました。
14歳の時にすでにカミーザとして知られていた彼は、彼の住んでいる地区で友達を相手にカポエィラを教え始めました。その後、カポエィラのショーをしながらブラジル中を旅し、70年代にリオ デ ジャネイロに住むことを決めました。カミーザはリオで、メストレ ビンバの改革的な考えに基づきながらカポエィラを探求し、彼なりの考え・教え方を確立していきました。また、すでに他の州でカポエィラを教えていた彼の生徒のためにもよりよい組織を作る必要性を感じ、1988年にABADÁ-CAPOEIRA,Associação Brasileira de Apoio e Desenvolvimento da Arte-Capoeira(カポエィラ武芸の支持と発展のためのブラジル協会)を創立します。メストレ カミーザはカポエィラの性質を活かし、生徒達に彼らの中に潜在する才能を身体的かつ精神的に発掘させて、カポエィラを通じて彼らが他の活動でも成長することができると言っています。また、身体的な要素だけではなく、カポエィラに不可欠なマランドラージェン(ずる賢さ)が人生の難関に立ち向かう上で有益な方法であるというような人生の哲学も教えています。